或る好青年の悩み   


「はぁ……」
公園の鳩に袋に入ったパン屑をやりながら、男は一人、ため息を吐いた。
「あーあ。私も、バカですよねぇ……」
昼ご飯の時間も少し過ぎた程度の、誰もいない公園である。井戸端会議に花を咲かせる子連れの母親たちも居ないし、住宅街の真ん中の公園だから車の音もあまり聞こえてこない。辺りに響くのは風の音と、男から餌をねだる鳩達の泣き声だけ。昼間だというのに奇妙な静寂に包まれたこの時間が、男は大好きだった。
と、その鳩達が一斉に舞い上がっていく。

「あの……ちょっと、いいですか?」
「あ、どうぞ」
鳩達の向こうから現われたのは、一人の青年。男はいつもの静かな時間が破られるのでは……と一瞬危惧したが、青年は別にそういう意図はないようだ。青年が静かに男の隣に腰を下ろすと、再び鳩達は餌を求めて集まりはじめた。
「この時間、いつも……ですか?」
「ええ。いつも餌やってます。……って言っても、こっちに越してきてからなんですけど」
男がこの近所の安アパートに越してきたのは8月に入ってからだ。越してきて初めての買い出しに出掛けた帰りに偶然、この静かな公園を見付けたのである。
「8月……ですか。実は、俺もこっちに越してきて、あんまし経ってないんですよ」
「奇遇ですね。越してきたのは、仕事か何かですか?」
傍から見れば、男と青年はあまり変わらない歳に見える。だから、男はそう振ってみたのだ。
だが、その男の質問に、青年は苦笑を浮かべる。
「いやその……なんつーか、リストラされちゃいましてね。今は無職なんスよ。で、今までのアパートじゃ家賃が高すぎるから、こっちのに越してきたんですけど……」
「はぁ。リストラ……ですか」
私もリストラなんですかねぇ……と、男は心の中だけで呟いてみた。
「あなたもリストラか何かされたんですか? ……あ、初対面の人に失礼な質問でしたね。よく考えたら、昼間ゆっくりしてるからって仕事してないわけじゃないのに……」
青年は小さく口をつぐみ、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
考えたら、今のアパートの階上に住んでいる探偵も、隣に住んでいる学生も昼間見かける事が多いのだ。青年には昼間に仕事をするという習慣が付いていたから、ついつい仕事というと昼間だけ……というイメージが付きまとってしまう。
「いえ。私も、リストラといえば……リストラなのかもしれませんね。何せ、今は仕事がありませんから」
ビニール袋の底にたまったパン屑の残りを鳩に向かってぱらぱらと放りつつ、男は静かな苦笑を浮かべた。
「そうですね……。ちょっと、昔話でもしましょうか……」


「私、壊し屋だったんです」
空になったビニール袋を丁寧に折り畳んでポケットに入れると、男は淡々と語りはじめた。
「壊し屋? 解体業だったんですか?」
青年の方もどうせ暇なのである。嬉々としてというワケではないが、こちらも静かに相槌を打ち、男の話を促す。
「解体業……まあ、そんなもんです。まあとにかく、その筋じゃ私も結構有名人でして。その関係で、すごく大きな仕事の全権を任されたんですわ」
「へぇ……。その年で大仕事。羨ましいですね」
日本でも有数な大企業の下っぱ社員だったから、青年はそれほどの大仕事というものをやった実感がない。せいぜい、確実に結ばれる商談のどうでも良い所とか、上司の重要書類の些末な箇所を手伝った程度だ。
「ただ、そこで、ちょっと問題が起こりまして」
「問題?」
男はほぅ……と、小さくため息を吐く。
「道に迷ったとか、通りすがりのお婆さんを送っていって現場への到着が送れたってのもあるんですが……」
冷静そうに見える男だったが、意外と抜けてたりするんだな……などと青年が思っている事など知る由もなく、男は話を続ける。
「そこって……凄く良い所だったんですよ。で、いつ壊そういつ壊そうって悩みながら滞在してるうちに、情も移っちゃいましてね。結局、納期だった七月ってのも過ぎちゃいまして、ウヤムヤのうちにこの通りってワケです」
今はすでに立秋も過ぎ、学生達も新しい学期にようやく慣れ始めた頃だ。少なくとも、7月など随分と昔に終わっている。
「良い所……ですか」
良いビルというのはどうにも思い浮かばなかったが、中にはそういう立派な建造物もあるのだろうと青年は適当に見当を付けた。もしかしたら、男が依頼されたのは重要文化財にでもなるような建物だったのかもしれないし。
「まあ、今から壊してもいいんですが、納期もぶっちぎって過ぎた今頃やっても何を今更って感じですし……ねぇ。仕事に私情を挟んじゃいけないってのは重々承知の上なんですが、私の仕事で誰が得するわけでもなし、どうにも気乗りしないんですよ、私は」
「……なら、やめちゃえばいいじゃないですか」
ぽつりと呟いた青年の言葉に、男は伏せていた顔を上げた。
「無責任かもしれないけど、気乗りしないんでしょう? 納期も過ぎてるし、誰も得しないんだったら、特にやる意味なんてないじゃないですか。今の仕事をクビになっても、他に何かあなた向きの仕事があるかもしれないし……って、上司とケンカして会社辞めた俺の言える事じゃないですけど」
そろそろ、静かな時間も終わりのようだ。公園から去っていた子供達もちらほらと姿を現わし始め、餌が貰えないと分かった鳩達もとうに姿を消している。
「……そうですね。私も、考えがまとまりました」
ゆっくりと立ち上がり、男は青年に向かって穏やかな笑みを浮かべた。その穏やかな笑みからは、男のその真の姿など、及びも付かない。
「今日は色々話を聞いていただいて、ありがとうございました。申し遅れましたが、私は宮本一馬といいます。この近くの巴荘というアパートの207号室にお世話になっていますので、良かったらいつでも遊びにきてやってください」
「あれ? 巴荘って……」
その名前に青年は聞き覚えがあった。8800円/月という、超絶破格の格安アパート。胡散臭いまでの安値に釣られた一癖も二癖もある奇人変人ばかりが住む、そのアパートは……
「俺、102室の武井篤司です」
奇妙な偶然に、男……宮元は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おや。奇遇ですね。それじゃ、無職の者同士……一緒に帰りますか?」



(そうですよね。やはり、私には『地球を破壊する』という仕事は、向いていませんよね)


宮本一馬。
本名を、ロード・オブ・アンゴルモア。

ある預言者と、その信託を信じる者達によって地球終末の任を託された……『恐怖の大王』。
「今日も暑いですね。もうちょっと、雨とか降りませんかねぇ……。そしたら、少しは涼しくなるのに……」
暦は秋でも、まだまだ暑い。
「終末予言なんざ知ったこっちゃない」というカンジで、秋の青空はヤケクソな位に高く、そして青かった。





J文時代の小説。
七の月の預言モジって書いてみた(撃沈)。

05' 1/6UP